花火の終わり


「もう終わっちまったな」
 硬く目を瞑っていた土方は、その声でやおら瞼を開けた。視界が濁っている。薄い膜が眼球を覆っているかのように、すぐ目の前にいるはずの近藤の顔がぼんやりと見えた。手の甲で頬を拭うと皮膚に濡れた感触がある。知らず知らずのうちに涙を流していたらしい。あわててすべてを拭き取った。
 何が、と訊ねようとした矢先、唐突に思い出す。今日は花火大会であった。それを見学すべく近藤と会場へ訪れたのはいいが、ひとの多さに辟易し、無意識にふたりの足は人影のない場所へと向かっていた。石段を昇り、行き着いた先は境内だった。ほとんど明かりはなく周囲は鬱蒼としている。自分たちのほかにだれもいない。そのうえ、石畳をはずれて草木をかきわけ入ると、視界が開けた場所に辿り着き、江戸の街を一望することができた。どうやら花火を観るのに絶好の穴場のようだ。
 だが、土方はそこで打ちあげられた花火を観ることは叶わなかった。虫の音しか聞こえない静かで薄暗い場所に恋人とふたりきり。ともなれば、やることといったらただひとつ。じきに花火大会が開始する時間だろうとわかっていたにもかかわらず、土方は近藤と抱き合い、我を忘れてセックスに没頭したのだった。
 先刻まで澄んでいた夜空は、いまでは薄く煙っている。花火の余韻だろう。いつの間にか花火大会ははじまり、終わっていたらしい。まったく気づかなかった。花火が破裂する音はしてただろうか。たいそう大きな音がしてただろうに。
 思い出そうとしたが、土方の脳内に浮かぶのはいましがたまで耽っていた情交のありさましかない。こんな場所で、まるで獣みたいに。からだが熱を取り戻しそうになり、落ち着くべく大きく息を吸い込んだ。鼻腔をつく火薬の匂いで正気を取り戻す。青臭い体液の匂いが混じっていたのには、気づかないふりをした。
 土方は、近藤の広くがっちりとした肩に額を押し当てて呟いた。
「見逃した……」
 特別花火が観たかったわけではなかったが、こうして近藤とふたりきりで観る花火はまた格別なものだろうと思っていたのだ。ただそれだけ。ちいさなため息を落とした土方は、おまえは観なかったのか、という近藤の声に顔をあげた。
「アンタは観たの」
「ああ、ちらっとだけど」
「ふ、ん」
 そんな余裕あったんだ。わずかに恨めしい想いが心中を駆け巡る。だって、自分ばかり、夢中になって――。
 不貞腐れた面持ちでいると、それに気づいたのか近藤が苦笑して、
「じゃあ、今度ふたりでしようか」
「ほんとう?」
 思わず無邪気に声をあげてしまってから、まるで子どもみたいだと失態をごまかすかのように土方は近藤のくちびるをひと舐めした。
「別にイイ。俺、アンタとこうしてるほうが好き」
 目を瞑った土方の脳内に一瞬、近藤の背後で煌びやかに瞬く花火の映像が甦り、そうしてすぐに、消え去った。


20070921