雨空見上げて
二日酔いの頭を冷やすには、この土砂降りの雨は最適だった。傘も持たずにふらりと市街に出て、特にあてもなくふらついた。明け方から降りだした雨は、人々が活動しだす時間になっても止む素振りは見せない。
水たまりを踏みつけると水飛沫がズボンの裾に跳ねて薄汚い茶色に色を変えた。靴のなかもむろんびしょ濡れで、歩くたびにぎゅうぎゅうと湿った不快な音をたてていた。足許から這いあがってくる冷たさがやけに身にこたえてしかたない。
もう帰ろう。迷子を気取るのにもあきた。唐突に思い立ち、屯所に帰った俺を出迎えたのは血相を変えた近藤さんだった。ある程度予想はしていたものの、その近藤さんの顔色に俺はわずかに戸惑った。
「どこ行ってたんだ、トシ」
「散歩」
「散歩って」
こんな雨のなかをか、と近藤さんが憤ったふうに眉をひそめた。濡れ鼠の俺は「出たときは降ってなかったんだよ」と素知らぬ顔で嘯いた。近藤さんはなにか言いたげに眉をかすかにあげたが結局なにも言わず、かわりにちいさなため息をついた。そのため息を聞くなり喉の奥に引っかかっていた「心配かけてごめん」という言葉が、音になることもなくぽたぽたと全身から滴り落ちる滴と混じりあい足許に落ちていった。そうしてわけもなく無性に卑屈な気分になった俺は、薄笑いを浮かべ愚かにも自らまぜっかえしてしまうのだ。
「近藤さん、昨日のことは忘れてくれ」
昨晩の俺は酒に侵されたあげく醜態をさらすに至った。思い出すのも業腹で、自分のしでかしてしまった行為(あるいは口にしてしまった暴言)をこんなにも悔いたのは生まれてはじめてのことだ。
はたしてこの冷たい雨は酔いを醒ましてくれただろうか。この雨がすべてを流してくれたらという俺の安易な目論みはしかし、近藤さんと顔をあわせるなりものの見事に失敗したことを痛感させるだけに終わったのだった。
この想いをぜんぶ流してくれたらと思っただけなんだ。それなのに俺はこのひとが好きで好きで好きで、アンタのやさしさが俺をダメにしてるんだよ、と胸中で見当ちがいな悪態をついて自分を修めることしかできない。
「……れるか」
激しさを増す雨が近藤さんの声をかき消した。近藤さんの視線は俺ではなく俺の背後で降りしきる雨に向いているようだ。
近藤さんはあいかわらず顔をしかめたまま、独り言を言うようにくちびるをちいさく動かした。
「忘れられるか」
かろうじて聞き取ったことばに自分の耳を疑った。なんで忘れてくれねえの。それってどういうことだよ? 自分の都合のいいほうにしか受け取れないおのれに嫌気がさしてうんざりした。
三和土に立ち尽くす俺の横を近藤さんが通りすぎる際、今度は俺に言い聞かせるようもう一度おなじ言葉をくりかえした。開け放したままだった戸がぴしゃりと閉じられ、雨の音が弱まった室内で「アンタが俺をダメにしてるんだよ」という俺の言い訳めいた独り言がやけに大きく響いて自分で驚いてしまった。
20080130
title by pick up days