2度目のキス


 はじめてキスをしたのはいつだったろうかと土方はふと考えた。 しかしすぐにそのくだらなさに気づき、思惟するのをやめて心中でひとり失笑する。
 その考えに至ったきっかけは正面に座る近藤を見つめていたことにあった。彼とキスをしたことはかつて一度だけあった。 それは別段深い意味はなくただの事故であったのだけれど、くちびる同士がくっつくものをキスというのであるのならばあれは確かにキスだった。
 土方はたびたび回顧していたものの、しかし近藤は憶えていないにちがいなかった。 なにせ彼はあの夜たいそう酔っ払っていたのだから。そうして自分も酔っ払っていた――と思う。
「――トシ、聞いてるか?」
 あやうく深い思考の渦へと飲み込まれていってしまいそうになった土方を、とてもよいタイミングでとどめたのは近藤だった。
 土方はハッとして下がりつつあった顔を持ち上げて、神妙な面持ちで「聞いてる」と短く返事をした。 ほんとうはあまり聞いていなかったのだけれど、まあ話の大筋はわかっているので差し支えはないはずだ。
 どっかの星のお偉いさんが江戸を観光しに来るということで、幕府から真選組がその護衛につくよう承ったのだ。 つまりていのいいガイド兼お守り役を押しつけられたということになる。
 まったくくだらねェ。土方は心中で毒吐きながらも、仔細を伝える近藤には至極真摯なまなざしを向けて表面上は真面目ぶっていた。
 同席しなければならない沖田はいまこの場にはいない。きっとどこかで眠りこけているのだろう。十中八九、そうにちがいない。 あのふざけたアイマスクをつけてひょうひょうと眠る姿を想像して土方が苛立っていると、再度近藤に呼びかけられてなんでもない、うそぶいた。
 だいたいこのひとは甘すぎるよなァと土方はしみじみ思う。 沖田の姿が見えないことに気づいた近藤は「それじゃああとで俺が総悟に説明しておくから」と言って土方だけを呼んだのだった。
(……でも)
 そのおかげでこうして近藤とふたりきりという状況にいるのだ。このときばかりはサボり癖のある沖田に感謝したい気分にもなる。
 黙々とやはり思考を飛ばしてしまっている土方の視線の先には近藤のくちびるがあった。どうしても目がいってしまう。 あの事故以来見つめるのが癖になっているようだった。――いや、そうではない、あれよりも前から、実は。
「……近藤さん」
「うん?」
 近藤の名を呼んだのは、ほとんど無意識だった。 近藤が話すのを中断したのを機に、土方は自分が彼を呼んだのだと我に返った。
 どうしたんだと尋ねる近藤に、土方はちょっとだけ無言で彼を見つめ返し、それから意を決したように近藤との間にあった一メートルほどの距離をにじり寄ってその半分へと縮めた。
「なァ……」
 たとえばいまここでキスをしたいのだと言ったら近藤はどのような反応を見せてくれるのだろう。 侮蔑のまなざしをくれるかそれとも「やっぱりおまえ、話を聞いてなかったな」と憮然とするだろうか。 願わくばおのれの言葉を黙殺せずに真剣に汲み取ってほしいのだけれど。ただそれだけでよかった。
(……それだけ、だった、のに)
 畳の上で両のこぶしを握りしめ、土方はまるで睨みつけるみたいに近藤を見つめた。その距離、ほんの数センチ。 ちょっと身体を前に倒してみたら、簡単にくちびる同士がくっついてしまう距離である。
 しかしもう、事故にはしたくなかった。二度目のキスはそんな陳腐な嘘でやり過ごしてしまいたくはなかった。
 土方はゆっくりと身を引いて、ちいさく吐息した。
 ほんと、くだらねー。本日二度目の失笑をしたとき、土方は飛び上がりそうになるほどの驚きを体験した。 畳の上にあったこぶしを突然つかまれ、引っ張られたのだった。その力に抗えず、前のめりになって近藤とぶつかってしまった。 よりにもよって、くちびる同士。触れ合ったのはほんの一瞬だったけれど、しかしこれは、事故ではなくて。
「……おまえが、近くにいるから」
 近藤はぽつりとつぶやいて、気まずそうに頬をかいた。 土方はいまだ回らない頭をフル回転させようと必死になったが、なかなかうまくいかなかった。
「アンタ、近くにいる奴にキスするの趣味なのか」
「な……ッ」
 顔を真っ赤にさせる近藤を見て、ああちがう、と土方は内心で焦った。だってどうしても意識はくちびるにいってしまう。 ずっと近藤に伝えたかった想いだとか、どうしてキスしたのだとか、言いたい言葉はしかし脳内に浮かんですぐに消えてしまった。
(ああ……)
 奥歯を噛みしめて土方は、近藤を恨めしげに見つめた。
「じゃあおれ、ずっとアンタの近くにいようかな」
 そう言って、つんとそっぽを向いてしまう。正面で近藤がちいさく笑った気配がした。
 当たり前だろう、ずっとそばにいろ。言われて近藤を見やれば目の前が翳り、もう一度くちびるが、重なった。

20060914
title by pick up days