息が詰まる雨の日
じめじめとした厭な天気だった。まだ雨は降っていないが、じきに降り出すことだろう。
灰色の分厚い雲に覆われた空を仰いでいると、ますます気分が塞いでいってしまうようだ。
土方は重い足取りで街中を歩いていた。天気のせいか、いささか活気に欠けたそこは人通りも少ない。
近藤の見合い話が決まってから、近藤とまともに口を利いていなかった。
無論局長、副長という立場柄、毎日顔を合わせることは必然だ。
しかし土方は近藤と極力目を合わせることはせず、伝達しなければならないことは要点だけをかいつまんで伝えていた。
きっと近藤は気づいているに違いない。
あからさまではないけれど、土方の態度がぎこちないことに、長年連れ添ってきた近藤が不審に思わないはずがないのだ。
だからといって、その原因が自分にあるとは思っていまい。思わせてはならないのだ。
「なんかあったら俺に相談するんだぞ」
かけられる言葉に、土方は曖昧に頷くしかなかった。
「俺じゃ頼りないかもしれないけど」
苦笑しながら続ける近藤に、今度はぶんぶんと頭を横に振る。けれど三度続く言葉には、土方はぴたりと動作を止めた。
「トシのためならなんだってやってやるからな」
「……なんでも?」
「ああ!」
だったら見合いなんかするンじゃねえよ。
土方は胸のうちで叫んだ。決して声に出しては言えない台詞だ。
たとえ面と向かって言ったとしても、「やっぱり俺にはお妙さんが一番なのかな」などと都合のいい、そして土方にしてみればひどく不本意な勘違いしてしまうだけで、土方の思いには気づくまい。
まあ、それも仕方のないことだけれども。土方は深いため息を吐いた。
近藤の見合い相手を見繕うのは楽ではなかった。こう言ってはなんだが近藤は女性にモテない。
見る目がない女ばかりだと土方は思うのだけれど、いささかストーカーじみた行為を思い返すとそれも仕方のない話かもしれない。
そして何より精神的に辛かった。
近藤のためならなんでもすると心に誓ってはいるが、それが彼の人生の伴侶を探し出すといったこととなれば訳が違う。
土方は近藤が好きだった。彼のことを愛していた。
だから近藤の見合い相手を探せと上から言われたとき、図らずも動揺してしまった。
けれどもそれを断る理由は決して告げることはできない。この思いは一生心に秘めていようと誓ったのだ。
ふと、頬を伝う滴に土方は気づいた。一瞬自分が泣いているのかと思った。現実は違った。
曇天の空から雨がぽつりぽつりと降り出していたのだ。
あっという間に勢いを増した雨は、容赦なく土方を濡れ鼠にさせた。深い漆黒の隊服は、水分を含んで重たく身体にまとわりつく。
火を点けずにくわえていただけの煙草も同様の有り様に、けれど土方は唇に挟んだまま、捨てることすら厭んだ。
ぐっしょりと濡れたまま、速度を変えずにゆっくりと歩く。
このまま帰ったら、きっと近藤は自分のことを心配してくれるだろう。
「トシ! おまえ風邪ひいちまうだろうが」
そう、そんなことを言って、他人のことばかりを心配するのだ。自分のことよりも、まず他人。
だから、勘違い、してしまう。錯覚してしまうのだ、自分の都合の良いほうへとばかり、考えてしまう。
ずるいひと。近藤に非があるわけではないけれど、そう思ってしまうのはやるせない気持ちがどうにも辛くなってしまったから。
「おい、トシ!」
とうとう、幻覚まで見え始めてしまったのか。近藤の姿を目の前に、土方はどうしようもねェなとひとり自嘲した。
すると突然、がし、と肩に小さな衝撃を受けた。そしてもう一度、己の名を呼ぶ声が。
「……ゆめ、」
力強く肩をつかまれ、土方は我に返った。今までのは幻覚や幻聴の類ではなかったらしい。愛しいひとの顔に声、間違えるわけがない。
土方の目の前には血相を変えた近藤がいるのだ。
「夢……?」
白昼夢かと思い、呟いた土方を耳ざとく聞いた近藤が、なんのことだと首をかしげる。
なんでもない、土方は言ってふるりと頭を振った。目の前にいるのは虚像でもなんでもない、現実の近藤だ。
意識すると急激に周囲が見え始めてくる。いつの間にか屯所の近くまで帰ってきていたらしい。
ちょうど見廻りを追え帰邸した近藤が、ぼんやりと歩いている土方を見つけて不審に思い、駆けつけて来てくれたのだろう。
「おまえ、傘は?」
「……見ての通りだ」
土方はおどけたふうに両の手のひらを空に向けた。
元より傘を持っていたとしても、きっと差すには至らなかっただろう。何よりその一連の動作が面倒くさかったので。
「……帰るぞ」
「うん」
近藤がこちらに傾けてくる傘に仕方なく入る。見れば近藤の向こう側の肩が濡れている。
「アンタが濡れるから」と傘の柄を押しても、「トシが濡れるだろ」と反対に押し返されてしまう。
もう手遅れなのに。土方はぼんやりと思いながら、近藤の思うままにさせた。
「煙草、もういいだろう」
「……うん」
近藤の指が、未だしつこく土方の口許にあった湿った煙草を抜き取っていく。
そのときわずかに触れた硬い指先に、ほんの少し唇が震えてしまったけれど、ばれていなければいいと土方は思った。
近藤さん。
土方の掠れた声は、雨音にかき消されて近藤の耳には届くまい。
20060518
title by 少年はにびいろをした不可避の幻を見る