目を覚ました土方は、むくりと布団から起きあがるとあくびをしながら厠へ向かった。用を足し、手を洗おうと洗面台のまえに立ったところで、ふとあることに気づく。とたんに正面の鏡に釘づけになった。鏡のなかの自分の首筋をまじまじと見つめたあと、思わずにんまりと笑ってしまう。
視線の先には赤い痕。見覚えのあるそれは、キスマークにちがいない。
だが、昨晩は近藤とともに眠っていないし、それらしい行為もしていなかった。
だからきっとこれは――。
(俺が知らないあいだに……)
自分が眠っているあいだに、近藤が夜這いしにきたにちがいない。そう確信するや否や、ふたたび口許をゆるませた土方だったが、すぐに舌打ちしたくなった。
(まったく気づかないなんて、もったいねェことをした!)
厠から出たところで、いましがた起きたと思われる近藤と鉢合わせた。トシおはよう、と言うだけでそのまま通りすぎていってしまいそうになる近藤の裾を、土方はきびすを返すと二三度引っ張り、彼ににじり寄って声をひそめた。
「近藤さん、アンタ、起こしてくれてもよかったのに」
「へっ?」
「夜のことだよ」
夜? と近藤が首をかしげるのに、土方はくちびるを尖らせる。とぼけているつもりだろうか。だけど俺はわかっているぞ、というふうに近藤を睨めつけてみても、近藤の反応はかわらない。
「トシ、俺漏れちゃうよ」
「勝手に漏らせば。いい歳して、みっともねェの」
「トシ! まだ漏らしてません!」
手を離してやると、あわてて厠のなかへと駆けこんでいく近藤の背中を不貞腐れて見送っていると、背後からこれみよがしなため息が聞こえてきた。振り向くと沖田が廊下の壁に寄りかかりながら、肩をすくめている。
「かわいそうに土方さん、近藤さんと虫けらのちがいもわからないんでさァ」
虫けら! そんなものとあのひとを比べるンじゃねえ、と憤り半ばの土方はふと、自分は思いちがいをしていたのではないかという疑念を抱いた。
(まさか、これって近藤さんがつけたんじゃなくて)
虫けら!
首筋の赤い痕に、愕然としながら土方は知らずつめを立てる。
ただの虫刺され! だとすれば、先刻の近藤の反応も説明がつく。
土方は、近藤に詰め寄った己を恥じて、くちびるを白くなるほど噛みしめた。
とぼとぼと肩を落として立ち去る土方の背中を横目に、厠に入った沖田は洗面台のまえに立つ近藤のとなりに並び、鏡越しに目を合わせると近藤ににやりと笑ってみせた。
「近藤さん、俺、昨晩遅くに偶然見たンでさァ」
「なにを?」
「土方さんの部屋から出てくる、だれかさんの姿を」
その“だれかさん”は鏡のなかで苦笑すると、なにも言わずに厠を出て行くのだった。