手を繋いで逃亡劇


「バレンタインデーなんざ潰れちまえばいいンだ」
 炬燵に入って蜜柑を食らう。思いのほか酸っぱいそれにわずかに顔を歪ませながら、皮を剥いた指先を見やれば見事なオレンジ色に染まっている。
「そういう土方さんこそ潰れてしまえばいいんじゃねーですかィ、ねえ近藤さん」
「でもチョコは食いたいぞ!」
「そンときは俺が率先して手伝ってやりますから」
「トシは毎年たくさん貰ってるからなァ。食えなかったら俺に言えよ、俺も食うの手伝うからな!」
 空回りな会話が頭上を飛び交う中、人差し指の爪の間に挟まった白い筋が汚らしく、小さく舌打ちして親指の爪で落としにかかる。
 こんな汚い手でも差し伸べたらちゃんと握ってくれるだろうか。 訝りながら正面に座る近藤さんを見やれば彼の手も白いくずにまみれてオレンジ色に染まっていた。 自分の手とさほどかわらないそれに安堵しながらそれでも根本的なところでちがうのだと気がついたところで自嘲がもれた。
 口内に広がる甘酸っぱさを吟味しながら思い浮かべるチョコレートの甘ったるい味。
 チョコひとつあげて喜んでくれるんだったらいくらでもやるのに、馬鹿げた行事・決まりごとがあるせいでそれも憚られて俺は何もできずじまいの臆病者だ。
 いっそのこと俺は逃げ出したいよ、こんな世界から。
 なあ近藤さんそのときはいっしょに来てくれるかな。 チョコ片手に手ェ握りあって、だれも知らない世界へと。そうしたらきっと「アンタのことが好きです」って言えるのに。
 現実を見る。
 目の前には蜜柑の皮の山。白いくずのついた指とオレンジ色の手のひら。
 そして俺に笑いかける、近藤さん。
「トシ、たくさんあるから遠慮なく食えよ!」
「……ああ」
 指を舐めて甘さを確認したあと、蜜柑の山に手を伸ばす。 爪をたてて皮を剥き、ひと房つまんで口に放り投げるころには手の汚さなどどうでもよくなった。


(願望が嗤いだす)

20070209