書類整理に明け暮れ、すっかり硬くなった肩をほぐしながら広間へ立ち寄った土方は、無人のその部屋の中央にある卓袱台に目を奪われた。
 天板には真っ赤なマフラーが無造作に置かれていた。見覚えのあるそれは、以前土方が近藤に魔除けならぬラッキーアイテムと称して捧げたものである。
 それ以来近藤が件のマフラーを身につけている姿を時折目にしていたのが、ひどくくすぐったい気分でもあったのだ。
 確か近藤は今日非番で、ふらりと街中に出かけているはずだったのだが、いつの間にか帰っていたのだろうか。
 小一時間ほど前に副長室を覗きにやって来た近藤は、間違いなく首に赤いマフラーを巻いており、「トシ、何かおやつでも買ってこようか」と陽気に笑ってみせたのだった。
 おやつ、という言葉に土方は苦笑した。それより煙草が切れそうだから、ついでに何カートンか買ってきてくんねえかな。 くわえていた煙草を吸殻だらけの灰皿に押しつけ、最後の煙を吐き出した。
「よし、そんじゃ肉まんでも買ってくっかな。今日は寒いし、あったまるぞ」
 立ち昇る紫煙を見て、近藤が自分の手のひらに拳をぽんとひとつ打ちつけた。 おいおい、無視かよ。言い終わらないうちに障子はぴしゃんと閉められ、またひとりきりの空間に残されたのだった。
「どこ行ったんだ、あのひと」
 ひとりごち、土方はマフラーをつかんだ。まだ温もりが残っているので、これをはずしてからそう時間はたっていないはずだ。
(俺のことなんて忘れてるのかも)
 近藤が買ってくると言っていた肉まんも、たとえば道すがらに出会った女に心を奪われたために忘れ去られてしまったのかもしれなかった。 思惟に暮れる土方は、奥歯をかみ締めている自身に気づくことはなかった。
(近藤さん)
 マフラーを鼻先にくっつけると、ほのかに近藤のにおいが香ってくるようだった。 近藤は近頃オッサン臭いとたいそう自身のにおいを気にしているようだが、土方にはまったく気にならないことだった。 ただの欲目なのかもしれないけれど。
 おそらく以前はニコチンの臭気しかしなかったマフラーは、今では近藤のにおいばかりがまとわりついていた。
(……じゃあ)
 それでは今、こうして自分がくっついているとふたたび煙草のにおいが染みついてしまうのではないだろうか。 現に今日は、曇った部屋にずっと篭もりきっていたのだ。
 焦った土方は、あわててマフラーから顔を離した。名残惜しくはあったけれど、元どおりマフラーを卓袱台の上に置く。
「ああ、バカみてえだ」
 己の愚行に舌打ちし、自室に戻ろうと踵を返した。そのとき、庭先に佇む男の姿を見つけ、絶句する。
「あ……トシ、くん。肉まん、なかったからピザまんとかでも、あの、いいかな」
 硬直した土方を取り繕うよう、近藤が胸に抱いた紙袋からほくほくと湯気のたつ饅頭を取り出した。 それでも何も反応することのない土方に近藤は困ったふうに眉尻を下げて、「あ、もちろん煙草も買ってきたぞ!」と腕に引っかかったビニル袋を揺らすのだった。
 土方は無性に煙草が吸いたかった。吸いたくて、そうしてこの視界の端にちらつく赤いマフラーを、思いきり燃やしてしまいたい衝動に駆られて仕方がなかった。

取り残された免罪符


20070106