すれ違い/最期のとき/愛憎劇
有刺鉄線の罠
はじめは、どこの別嬪サンが現れたのかと思った。
赤い紅を引いたふっくらしたくちびるが印象的な、きらびやかな女物の着物を着た女性だ。
しかし、俺の目に狂いがなければ、その女性は俺の右腕でもある、土方十四郎だった。
彼――彼女、と呼ぶべきか――はうつむき加減のまま、赤いくちびるを薄く笑ませ、「土方十四郎のかわりにやって来た」とかろうじて聞き取れるくらいの小声で言った。つまりは、自分は土方十四郎ではないと、そいつは言い張るのだ。
だが、一度生じた違和感は消えるどころか増すばかりだった。
面影は、ある。伏せた眼はいささかきつめで、いつも部下たちに目くじらをたてているそれを彷彿とさせる。髪の毛は後頭部でひとつに結ってあり、真っ赤なかんざしで飾りたてていたが、そんなものかつらをつければどうにでもなるだろう。
身長は、女にしては高い。俺との身長差に既視感を受ける。目線の高さが、あいつと話すときのものと同じに思えた。
こうしてトシと目の前の女との、いくつかの類似点を見出してみたのはいいが、正直そうと言い切れるほどの自信はなかった。
あいつにお姉さんか妹さんなんていたっけ、なんて必死に思考をめぐらせたが、近藤さん、と俺を呼ぶ声を聞き間違えるわけがない。
長年連れ添ってきたのだから、間違いない。
毎日、耳にしている声なのだから。
それにしても、もしこの女性が本当にトシであるのなら、一体どういうつもりでこんな真似をしているのだろうか。
女装趣味があるなんて、聞いたことはないし。もしくは、単に俺が知らなかっただけなのかもしれないけれど。
こればかりは、俺にも計り知れないことだった。
まじまじと見つめていると、そいつは俺の視線から逃げるようにうつむいてしまった。
それは、俺と目が合ったとき、たまにトシが見せる仕草にとてもよく似ていた。
俺は確信した。
やっぱり彼は、土方十四郎だ。
トシは、俺にばれていないと思っているらしい。なんだかとても、見くびられているみたいだ。
そういうつもりなら、俺もこの遊びに乗ってやろうじゃないか。
俺は、女に化けたトシに笑いかけ、急用やらで来られなかった俺のダチのかわりにどこかへ行かないかと誘いを入れた。
……誘ったのはいいが、正直、自慢じゃないがデートなんてもの慣れちゃいねえ。だから実際『女性』を誘ったところで思いつくのは、行きつけの牛丼屋に、居酒屋くらいしかなかった。
トシは、ほとんど喋らなかった。いくら化粧を施そうが、綺麗な着物を着ようが、声質を変えることはできないのだから当然のことだった。
俺の失恋話を黙って聞いて、わずかに笑んでいるのはきっと、呆れているからなのだろうけれど。
でも、アンタのことを好きなヤツだって、どっかにいるんじゃねえの。
いつもトシは、ふられた俺にそうやって声をかけてくれた。だから今も、そんな言葉が欲しかったのに。それでも女に化けたトシは、相槌を打つだけで、なんだか物足りない。
そうして、改めて思い知る。
俺はトシの言葉に救われていたのだ。トシの存在は、俺の中でとどまることを知らないみたいに、どんどんと膨れあがる一方だった。
事実、俺は浮かれていたのだろう。あまりないシチュエーションが、俺のいつもは胸の奥底縛りつけている想いを、わずかにほどいてしまったのかもしれなかった。
あやうく、触れそうになる。
テーブルの上に組まれた手に、そっとおのれのそれを重ねてみたくなる。
そんな衝動を、何度も何度もわきおこる卑しい感情を、必死で抑えとどめている俺にトシが訝しげに首をかしげるので、なんでもないよと笑ってみせた。
居酒屋を出ると、生ぬるい風が頬を撫でていく。わずかに酔っ払って火照った身体に、その空気はありがたくなかった。
はやく、屯所に帰りたかった。もういいかげん、この茶番にも飽きがきていた。
屯所に向かって歩き出ししばらくすると、背後を歩いていたトシがおそるおそるといったふうに声をかけてきた。
「どこに、行くの」
何言ってんだ、屯所に帰るに決まってるだろう。
言いかけた言葉を思いなおして、無理やり喉の奥に押し込んだ。
そうだった、トシはまだ俺に気づかれてないと思っているのだ。
まったく、俺をどんな鈍感野郎だと思っているんだ。
もちろん、この気まぐれなデートは思いのほか楽しめたけれど。
(……でもなァ、トシ)
どこに行くんだと、疑わしい目つきを向けてくる男に手を伸ばし、
「帰るぞ、トシ」
驚きに目を見開く様に、苦笑がこぼれる。触れ合った手のひらからは、あったかいぬくもりが伝わってきた。
(はやくいつものおまえに戻って)
俺は『土方十四郎』の隣を歩きたいんだよ。
そんな日常的なことですら、俺にとってはとても、とてもしあわせなことなのだと改めて実感するくらい、心地好いぬくもりだった。
終幕
20070204