愛なんてことばじゃ


「アンタは俺を好きになる。アンタは俺を好きになる。アンタは俺を――」
 酔いつぶれた男の耳もとでつぶやく。こんなくだらない、馬鹿馬鹿しいことで気持ちを操れるほどひとの心はたやすくない。わかってはいるが、なんとも無防備な寝顔を晒してくれる男がほんのすこしばかり憎たらしくなった。口惜しくなった。
 ――起きないンだったら、キスでもしてやろうか。
 そうして、邪心がわきおこる。ちょっとだけだ。いったん思いついた悪戯はじわじわとよこしまな感情に支配されていく。
 いざ実行しようと、仰向けになった近藤の顔を見つめながら身をかがめた瞬間、タイミングを計っていたかのように近藤が目を開けた。土方は、ぎくりとしてからだを硬直させた。距離にして十センチ程度、眼前にいる近藤にじいと見つめられ、じわりと顔中が熱くなるのを感じながらようやく身を起こす。
「俺、寝てた?」
「……ああ」
 のっそりと上半身を起こす近藤から顔をそむけ、平静を装いつつうなずいた土方はしかし内心ではひどく焦っていた。
 ――まさか。
 まさか先ほどのたわ言は聞かれなかっただろうか。
 疑心暗鬼にすうと背筋が冷えていく。おのれの浅はかさにくちびるを噛みしめた。
「どんくらい寝てた?」
「そんな経ってねえよ。30分かそこらだろ」
「そうか」
 近藤の顔が見れない。会話が途切れる。いまの部屋の静けさは土方には無性に居心地が悪い。ふだんであれば近藤と会話をしていなくてもとなりにいるだけで居心地の好い環境であるのにいまはだめだ、後ろめたい気持ちがあるからこれ以上この状態に耐えられなかった。
「じゃあ俺はそろそろ寝るから」
 アンタもちゃんと布団敷いて寝ろよ、と言いおいて立ちあがる。ほとんど酒は飲んでいないはずなのに覚束ない足もとで畳のうえを歩く。トシ、と呼ばれたような気がしたが振り向かずに部屋をでた。
 だいじょうぶだ、きっと聞かれなかったはず。自分に言い聞かせながら、土方は静かな廊下でゆっくりと息をはきだす。

20080807