46:性欲処理
官能的行為というのはたいてい忘れ難いものである。忘却の彼方へと押しやってしまいたくても、ふれあった肌の感触や鼓膜に張りついたさまざまな音や声がこびりついて離れないのだ。
近藤は目を閉じ、艶事に耽った夜を思い浮かべていた。以前は、それは虚しくも想像上のものでしかなかったが、ある日を境に如実に脳裏に思い描くことができるようになった。
土方と思いがけず恋仲となり交接して以来、近藤ははじめて土方の「夜の顔」を知った。真選組・鬼の副長として怖れられる土方ではなく、また昔馴染みの同胞としての土方ではなく、己の下で快感に身体をよじらせ喘ぐ土方を、それまで近藤は露ほどにも知らなかった。
だからこそ、はじめて彼と結ばれたときは衝撃的だった。昼夜関係なく、勤務中にもかかわらず、土方の姿を見かけては近藤は夢想し、身体を熱くした。
――もう、限界だ。
いっそのこと押し倒してやろうかと、何度思ったことか。ふたたびあのなかへ入ってかき混ぜたいと、どんなに強く願ったことか。
だが、そのたびに近藤は、強い自我をもって己を抑えつけた。
正直に土方に告げてしまえば、きっと彼は近藤に身体を開いてくれるだろう。しかし近藤は、己の欲望をさらけ出すことを怖れた。土方が引いてしまうのではないか、彼が離れていってしまうのではないかという愚案に気圧された。
それならば、己の獣の姿を消すべく、自分で始末してしまったほうがいいと単純に考えたのだ。
土方のしっとり汗ばんだ身体を思い出しながら、近藤の手は上下に自身をこすりあげている。欲情を孕んだペニスは、その赤黒い先端から濃厚な蜜を滴らせていた。
「トシ……」
名を呟いた瞬間、ぶわりと吐き出された生暖かい液体が手のひらを汚した。指のあいだからぽたぽたと落ちる白濁の液を見下ろし、いくばくかの後悔が胸に宿るのはめずらしいことではない。
近藤は、しばらく布団のうえであぐらをかいた体勢のまま、焦点の合わぬ双眸を濡れた手のひらに落としていた。だが、ふと顔をあげて襖のむこうを見やると、あわてて手のひらを布団になすりつけた。近藤さん、と襖を挟んだ廊下から声がしたのは、それと同時のことだった。
近藤は乱れた着衣を正し、立ちあがって襖を開けた。
「どうした、トシ」
それまでの色欲を感じさせない笑顔を近藤は浮かべた。その反面、背中に汗がじっとりと流れていたが、土方はそれを感じ取ったようすもなく、「めずらしい酒が手に入ったから、いっしょに呑まないか」と微笑混じりに首をかしげる。
「いまは、いい、かな」
近藤はぎこちなく笑って、さりげなく右手を背中に隠した。急いで拭いたとはいえ、まだ汚れた証がついているかもしれなかった。土方を汚した精液が。
「なんで? どっか具合でも悪ィの?」
「いや、そういうわけじゃ……、でもいまはいいんだ」
いまはひとりでいたかった。そっと背後でこぶしを握りしめる。だが、そんな近藤の心情を知るよしもない土方は、なおも頑是ない面持ちでくりかえした。
「だって、今夜じゃなくッちゃ、アンタの分、なくなっちまうかもしんねェし」
「いいよ、みんなで呑んで。俺はまた今度いただくから」
「でも、なかなか手に入らない酒だから」
「いらねェって言ってるだろ!」
思わず声を張りあげると、土方がはっと息を呑んだ。その凍りついた瞬間は、近藤にも痛いほど伝わってきた。
「……わかった」
傷ついた顔をして、土方は踵をかえしていく。微かに震えていた頬が、それまでの温かみのある色をなくして青褪めたのを近藤は確かに見た。
そうして近藤はふたたび後悔に襲われる。いままでおまえのことを考えて自涜していたんだよ。唇を自嘲に歪めたのを最後に、精液のこびりついた手のひらによって襖がぴしゃりと閉ざされた。
遠い世界から、宴のはじまる喧騒が聞こえてくる。近藤は暗がりのなか布団に俯せになり、ああはやく洗濯しなければならないなァと思いつつ、無理やり眠りの世界をこじ開けるべく、もうなにも考えまいと瞼を強く瞑った。
なにより近藤は、これ以上、土方という人間に堕ちていくのを怖れていたので。
20071107