035:空箱
「トシ、落し物だぞー」
 書類と格闘していた土方は、後頭部にこつりと固いものがあたったのを感じ、振り向いた。 背後には近藤が立っており、その手には見覚えのあるものが握られていた。近藤はそれを、ずいと土方の眼前に突きだした。
「大事なモンじゃないのか」
「どうしたンだよ、それ」
 それ、というのは土方の愛煙する煙草ケースのことだ。訝しげに見やると近藤は「拾った」と言い放つ。
「炊事場。隅っこに落ちてた」
「……あー」
 土方は回顧して、先ほど炊事場にあるゴミ箱に、空になったその箱を放り投げたことを思い出す。 つまり近藤が「落し物だ」と言ってわざわざもってきてもらったものは、とうにゴミへと変わってしまっていたものなのだ。
 しかし近藤はそのことに気づいた様子もなく、彼にしてみれば拾ったものを土方の許にその煙草をもってきてくれたというただの親切心から起こした行動なのだ。
 土方はうやむやに頷いて、感謝の意を述べる。そうすると近藤はひとのいい笑みを浮かべ、満足気に「よかったなァ、俺が気づいて」と胸を張るのでますます言いづらくなってしまう。
 近藤が去った後、念のためにとそのケースを振ってみるが、なんの手ごたえもない。蓋を開けて中を覗いてみても、やはり空っぽだ。
「あのひとはなァ……」
 思わず土方は苦笑を漏らした。煙草の入っていないケースをそれとは気づかずもってきた近藤に、そうしてそれを承知で受け取ってしまった自分に対して。
「……ん?」
 さてどうするかと小箱を睨みつけていた土方は、捨てたときとその空箱の様相が違うことに気がついた。 ケースの裏側、広い面にお世辞にもきれいとは言い難い文字で、「土方とーしろう」と書いてある。 それは見慣れた近藤の文字であった。持ち物には名前を、という幼い精神を落し物をした土方に気遣って向けられたのだろうか。
「まったく、こんなモンに落書きしやがって……」
 大きな手がこのちいさな箱に不器用ながら文字を綴る姿を想像して、土方は喉を震わせて笑った。
「……捨てられねえじゃねーか」
 畜生、と紡いだ唇はわずかにゆるんで仕方なかった。


06.08.29