034:変わらないモノ、特別なモノ
*** 「32:もう二度と」のつづき

 近藤は頬を撫でられる感触に目を覚ました。うっすらとぼやける視野を、二三度瞬きを繰り返し、クリアにする。 そうしてようやく判然とした視界の中、見知った人物を見つけて自然と微笑みがこぼれた。
「トシ」
 呼びかけると、布団の傍らに正座する土方はどうにも所在なさそうに身を揺らした。 どうしたんだと尋ねようとした近藤は、ふと自分の身のうちにあったことを思い出す。
「ああ、悪いな。俺が風邪ひいちゃ、どうにもなんねえよな」
 ははは、と若干苦く感じられる乾いた笑いをもらす。まだ本調子ではないが、先刻よりはだいぶ楽になっていた。 起き上がろうとしたところ、「まだ寝てろ」と自分を案ずる声が降ってきたので、その言葉を甘んじて受け入れることにし、再びもぞもぞと温かい布団の中に潜り込んだ。
「……」
 なんだかいささか調子がおかしくて、落ち着かない。
 いつもであれば、よくできた副長に「まったく、さっさと治して溜まってる書類をどうにかしてくれよ」などつらつらと小言をもらうこともざらではない。
 だが、今の土方はいささか神妙ともとれる色を表情に浮かべていた。小言を言う気配は一切ない。それが物足りないと思うあたり、おかしいのは自分も同じかと近藤は自嘲した。
「どうした?」
 やんわり問うてみるが、土方からの返答はない。代わりに、それまで伏せていた瞼が持ち上がり、そうっと窺うよう、近藤のほうへと向けられた。
 その眼差しを受け、不覚にも言葉を失ったのは、近藤だった。
「ごめん」
「……は?」
 唐突に落とされた言葉が、近藤にさらなる混乱を与える。 突拍子もない謝罪をされ、何があったっけ、と必死に思考を巡らせてみるが、心当たりはない。
「え、なに、どうしたの」
 風邪をひいたのは、近藤の自己管理の甘さから引き起こされたものである。 ――つまり、このクソ暑いさなか、我慢できずに水浴びをし、さらにびしょ濡れのまま冷たいカキ氷を食らったのは、まさに自分の体力に自惚れていた近藤の勝手であって、「そんなことしてて風邪ひいても知ンねえからな」とわざわざ忠告してくれた(半ば呆れ気味だった)土方にはなんの罪もないのである。
「大丈夫だって! ほら、俺もうすっげー元気!」
 がばりと起き上がり、な! と力強く腕まくりをして見せても、土方は表情を曇らせたままだ。 近藤の眠っていた布団から視線を外そうとはしなかった。
「……だって、おれ」
 土方は今にも泣きだしてしまいそうだった。ぎょっとした近藤は、すぐさま投げ出していた足を折って、土方の前に正座をする。
「トシくーん? もしかして俺の分の夕飯食っちゃったの気にしてたりとかだったら、全然気にしないよォ。俺、ぜーんぜん腹へってないし」
 ぐぅ、とお腹が盛大な音をたてて鳴った。そういえば朝から何も食べていなかった。近藤は慌てて咳払いをして誤魔化そうとしたが、土方はそれに気づいた様子はない。自分の手のひらを見つめていた。ふいに近藤は思い当たった。
「……もしかしておまえも具合、悪いのか?」
「……ああ、病気かもな」
 だからおかしかったのかと思い近藤が尋ねると、土方はなぜかふっと自嘲気味に笑って言った。
「じゃあ、おまえも寝てなきゃダメだろ」
 近藤は立ち上がり、土方の腕をつかもうとした。しかしそれよりも早く、「触るな」と一言、ぴしゃりと言いはねつけられた。
「ダメだ、触るな……」
 土方は近藤の手から逃れるようわずかに身を引いて、ふるりとかぶりを振った。
「アンタは、触っちゃいけない」
 一語一語噛み締めるように言う土方に、近藤は少なからずショックを受けた。
「……俺、くさい、か……?」
 寝込んでいる間、入浴した覚えはない。真夏の時分、風呂にも入らず布団に潜り込んでいただけなので、汗をかくのも仕方ないことだ。それで避けられても、文句は言えない。
「……悪い」
 それでも尖った気分になるのは、単に避けられたからだろうか。
 知らず難しい顔をしていた近藤は、突然飛びかかってきた土方を避けることも支えることもできず、勢いのまま後方に倒れ込んだ。
「……ばか」
 胸元に顔を押しつけた土方が、ぽつりと呟く。顎を引いてその顔を覗き見れば、かすかに睫毛が濡れていた。 近藤は土方の後頭部を撫でた。わざと、髪の毛をくしゃくしゃにするような、粗雑な仕草で。それに身を任せていたふうの土方が、もう一度「ごめん」と呟くのを聞いて、近藤は手を止めた。
「ごめん、近藤さん。おれ、アンタへのきもち、変えられねえや」
「……別に、謝ることじゃないだろ」
「ごめん」
「トシ」
「ごめ、ん」
 もういい加減、その言葉には飽き飽きしていた。
 近藤は土方のおとがいをつかみ、唇を重ねた。驚いたように目を見開いた土方を見て、無意識に「ごめん」とこぼしてしまい、「アンタもじゃねえか」と苦笑する唇に、もう一度キスをした。


06.08.15