004:傍にいて
「トシくん一生のお願いです」
 ことさら真面目な顔をして、近藤さんは俺の目の前に正座した。
 一生のお願い、って。
 三十路近いオッサンが「一生のお願い」って。
 いろんな意味で――そう、いろんな意味で、だ――面食らう俺を、何を勘違いしたのか近藤さんは「もう一生のお願い、ってしたことあったっけ?」と首を捻って考え込む。 しかしそんなことしている場合じゃないことに自分で気づいたのか、はっと我に返ったように近藤さんは俺の両肩をつかみ、揺さぶってきた。
「なあトシ! 俺のお願いきいてくれる!?」
「わ、わかった、から! 離せって、」
 このままでは土下座もしかねない勢いだ。俺は肩をつかむ近藤さんの手をそっと剥がし(それはもう、残念だったが)、彼の膝の上に押し戻した。
「で、なんだよ、一体」
 そこまで真剣であるのなら、さぞ卓越した「お願い」をされるのだろうか。
 たとえば、かの女のストーカーをするために休みをくれだとか、キャバクラに貢ぐ金を貸してくれとかだったりしたら、却下だ、却下。
 自分の考えにひとりで不快になっていると、突然近藤さんが俺の両手を握って、
「俺の傍にいてくれ」
「……は、」
 言われた俺の頭ン中はもちろん、真っ白白紙状態。思考能力停止。
 ――俺の傍にいてくれ。
 近藤さんの言葉をリピートして、咀嚼して、ようやく理解した頃には耳朶が熱くなるのを感じた。
「な、何言ってンだよ、今さら。そんなの、」
 言われなくてもずっと。
 ずっと傍にいたいと思っているのは俺の方なのに。
 そう続けようとした俺を無情にも遮ったのは、近藤さんの切羽詰った声だった。
「トイレまでだからさ、なァトシ! さっき総悟に変な話、聞いたンだよ。昨日河原で傷心自殺した女の幽霊が、夜な夜な男を求めて街中を徘徊してるんだって! 俺狙われちゃう!」
「……はあ?」
「だからトシ、今すぐ、トイレに行こう!」
 ……もちろん近藤さんに他意はないのだろうけど。
 それは厭っていうほど、わかってはいるんだけど。
 トイレまで、って。狙われる、ってなんだよおい。
「……忙しい」
「え」
 俺は机の上の書類を適当に手に取り、近藤さんに見えるように掲げた。無論処理済のものばかりだが。
「書類整理が溜まってんだ。アンタの世話してる暇、ねェや」
「えええ」
 大体昨日死んだ女の幽霊の話が、一日で触れ回るなんざおかしいだろうが。しかも「夜な夜な」って昨晩だけだろうが!
 嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐きやがれ総悟のバカがくだらねェ話を近藤さんに吹き込みやがって。
「トシ! 俺、漏らしちゃう! もうすぐ三十です!」
「漏らせ漏らせ。そン代わり後始末は自分でやってくれよ。ここ、俺の部屋」
「トシぃ……!」
 絶望的な目をして俺にすがってくる近藤さんに、俺はプイと背を向けた。
 畜生総悟の野郎、明日覚えとけよ。あーあーほんとバカみてえだ!


06.06.18